文鳥が亡くなった。

オスの桜文鳥。13歳と半年生きた。

 

ホームセンターで出会った。

ケースに入れられた雛文鳥の中で一番体が大きくて、指を近づけるとドタドタと近寄ってきてけたたましく鳴いて餌をねだっていた。

ヒーターと水槽を買って、カイロを貼り付けた紙の箱に入れてもらって、車の中で抱えていた。

家に帰っておがくずをひいた水槽に入れてやると、随分大人しくなっていたけれど、餌をやるときにはケンケンケンとでかい声で鳴いていた。数日すると、餌の用意をするためにスポイトに手を伸ばした途端に激しく鳴くようになった。

 

うちにきて一ヶ月くらいした頃に、初めて飛んだ。休みの日で、図書館から帰ってきた時だったのを覚えている。

最初は飛ぶのが下手くそで、羽を少し切ってやらなくちゃ窓にぶち当たりそうになりそうなくらいに元気だった。

 

ベタベタに私に慣れていた。

パーカーばかり着ていたから、パーカーのポケットやら袖に入り込むのが好きだった。

常に手の中に潜り込んで、かまえと突っついてささくれを齧っていた。

おいでと合図をすれば飛んできて手に止まるし、うんこしておいでと言えば鳥かごに止まってうんこして、ほめて!と言わんばかりの勢いで戻ってきた。その後にはいつも、歌を歌ってくれた。

求愛の歌は、演歌みたいな変な歌だった。私の下手なピアノを弾いて育ったからだろうか。

カチカチと嘴を鳴らしながらリズムをとって、トントン跳ねながらギーチョギーチョピヨピヨピヨピヨチョッチョギーヨと歌った。

歌った後にありがとう、と撫でてやると、キュルキュルと喉を鳴らした。

勝手に籠の扉を開けて出てくることもあった。とても頭がいい子だった。

人間の言葉もちゃんとわかっていた。

 

リンゴととうもろこしとみかんと枝豆が好きだった。

リンゴは細く爪楊枝みたいに切って。みかんは薄皮までむいて、その中の小さな粒を指先に乗せて食べさせた。

特にとうもろこしは大好きで、胚芽の部分を凄まじい勢いで啄ばんでいた。

今年の夏も食べさせてやりたかった。

 

ほとんど病気をしない、強い子だった。

飼い始めて2週間ほどでトリコモナスのせいで餌を食べられなくなって病院につれていった。

少し薬を混ぜた餌を食べさせたらすぐに良くなったけれど、そのせいで他の文鳥よりは体が小さいまま育った。でも、それから一度も病院には行かなかった。

 

四年ほど前から、足が弱って止まり木に止まらないようになった。

足の指が弱って、うまく握れなくなった。

それでも鳥かごの底の新聞紙の上で生活をするのは嫌なようで、無理矢理止まり木に止まろうとして何度か落ちそうになっていた。

高い位置に設置した餌箱に小さく丸めた新聞紙を敷いてやると、そこを気に入って過ごすようになった。

 

三年前に実家を出た。

彼は10歳を過ぎていたし、実家を出ると、 彼を看取れないと思って悩んだ。

いつお別れでもおかしくないと思った。

だんだん弱って眠っている時間が増えて、目も見えなくなり始めていた。

結局実家を出て、一人暮らしを始めたけれど、月に一度か二度は片道二時間半かけて彼に会いに帰った。

日曜日に家に帰る前に、必ず籠から出して、愛してるよ、行ってきます、と話しかけた。

 

昨年の5月に、転職して上京した。

夏に帰ると、目はほとんど見えなくなって、声も聞こえなくなっているようだった。

出してやろうと籠に手を入れると、威嚇して手を激しくつついた。

それでも握ってやると思い出してくれたのか、目を閉じて撫でさせてくれた。

 

最後に会えたのは年末年始に帰省した時だ。

親と大喧嘩をした。

居づらくて、部屋に篭っていた。

それでも彼を撫でてやりたくて、最後の日はずっとリビングで握っていた。

最後の時も、少しだけ撫でてから荷物を持って実家を出た。

いつも玄関を出るとき、もう彼に会えないかもしれないと思って少し泣きたい気分になりながら、父が駅まで送ってくれる車に乗りこんでいた。

本当に、もう会えなくなってしまった。

 

数時間前に、親から彼がなくなったことを知らされた。

一瞬で脳が冷えて、飛行機を探しながら電話をかけた。

朝は床で眠っていて、いつものように餌箱に乗せてやるといつものように膨らんで眠っていたのだが、昼にリンゴをやろうとしたらそのまま眠るように亡くなっていたという。

土曜に帰る、と言ったけれど、親に無理をするなと反対された。多分土曜日まで待ってもらっても、彼の体はどんどん固くなって、傷んでしまう。このタイミングだったのは、妹も先週就職先の研修で東京に出て、お前たちにその姿を見せたくなかったからだろう、と。

昼に連絡しようとしても、一時的にネットが繋がらなくてLINEができなくなっていたのも、そういうことなのだろう、と。

 

彼は植木鉢に埋めて、花を植えるそうだ。

好きだった豆苗も、たまに一粒ぐらい種を埋めてやろうかなと思う、と母は言った。

 

あれだけ撫でて、愛してるよと言って、写真を撮ってきたけれど、全然足りなかった。

彼も沢山私を愛してくれていたのに、置いて実家を出て行ってしまったことを悔やんでしまう。

本当にたくさん生きてくれた。人生の半分一緒にいたのだから。

 

向こうで、大好きなリンゴもとうもろこしもみかんも沢山食べて飛び回っていてほしい。

もう苦しくないか。足も痛くないか。背中の腫瘍も気にしないで、目も耳もよく聞こえているか。

 

あと数十年、そっちで待っててくれるだろうか。

また、私の手のひらめがけて飛んできてくれよ。

ジャムの瓶にしまったたくさんの羽を、いつでも必ず身につけてお守りにするから。